日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~

日本遺産ストーリー

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15 あけのべこうざんかんれんいこう あけのべこうざんまち

明延鉱山関連遺構・明延鉱山町

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 明延鉱山での操業は8世紀頃始まったと言われている。さまざまな金属が発見されたが,銅と錫が最も多かった。言い伝えによると明延は,東大寺にある有名な大仏に使われる銅の一部にも貢献したそうである。

 江戸時代(1603-1867)と明治時代(1868-1912)の政府の管理の下で,明延鉱山は1896年に三菱合資会社に売却された。1987年に閉鎖され,2層目以下の坑道はすべて水浸しになった。しかしそれより上の層は教育上の目的のため保存された。ガイド付きツアーで行き易くなり,これらの地域は鉱山が操業していたときとほぼ同じ状態である。トロッコの軌道と重々しい鉱山の機械類もまた展示されている。

文化財データ:

名称 明延鉱山関連遺構・明延鉱山町
読み方 あけのべこうざんかんれんいこう あけのべこうざんまち
指定状況 未指定
住所

養父市大屋町明延1184

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