江戸時代、徳川家康は西日本最大の金山として中瀬の開発を生野奉行に命じた。明治時代には生野鉱山とともに明治政府の官営鉱山となり、昭和時代には金とアンチモンの鉱山として栄えた。現在も鉱山関連の工場が稼働し、鉱山に関わる町並みが残る。
文化財データ:
養父市中瀬816-10