日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~

日本遺産ストーリー

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09 いくのこうざんかんれんいこう

生野鉱山関連遺構(生野鉱山及び鉱山町の文化的景観)

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 生野銀山は日本屈指の銀採掘量を誇る鉱山であった。1868年,フランス人技師たちの援助を受けて近代化を進める明治政府に選ばれた最初の官営鉱山である。南へ姫路の港に走る生野鉱山寮馬車道(現在は銀の馬車道として知られている)は1876年に完成し,生野は日本の産業が近代化へと突き進む象徴となった。

 生野鉱山は1,200年以上にわたり採掘が続けられたのち,1973年に閉鎖された。その後まもなく,来訪者が鉱山の歴史とさまざまな時代の採掘技術について学べるように,旧坑道内に展示物が設置された。坑道入口の外にインフォメーションセンターともう一つ江戸時代(1603-1867)の製錬過程を示す建物がある。

文化財データ:

名称 生野鉱山関連遺構(生野鉱山及び鉱山町の文化的景観)
読み方 いくのこうざんかんれんいこう
指定状況 国選定重要文化的景観
住所

朝来市生野町小野

アクセスマップAccess Map

  • 生野鉱山関連遺構(生野鉱山及び鉱山町の文化的景観)
  • 生野鉱山町(生野鉱山及び鉱山町の文化的景観)
  • 史跡・生野銀山
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