2022.06.01
朝来中学校1年生が『鉱石の道』で現地学習を行いました!
この現地学習会は、日本遺産を学び郷土愛を深める課外授業として、鉱石の道推進協議会の『鉱石の道郷土学習支援事業』を活用し、実施されました。
見学先は神子畑選鉱場跡、生野銀山、旧生野鉱山職員宿舎(志村喬記念館)、生野町口銀谷の町並み。半日かけてこれらの鉱石の道エリアに残る鉱山遺産を巡ります!
【神子畑選鉱場跡】
まずは神子畑選鉱場跡です。
元は鉱山だった神子畑の歴史や、明延鉱山との関係、施設についてガイドさんが詳しく説明してくれます。メモを取りながら熱心に耳を傾ける生徒の皆さん。
その後は班ごとに見学、レポート作成の為の撮影も熱心です。
明延鉱山から人や鉱石を運んだ『一円電車』。「一円電車に乗ってもいいですかー?」と楽しそうな声が聞こえてきます!
こちらは神子畑交流館 神選(しんせん)。
昭和50年代頃の神子畑選鉱場付近を再現した特大ジオラマ(幅:2m34cm × 奥行き:1m35cm )は、神子畑と明延鉱山の位置関係がよくわかります。
鉱石の道の名所やシンボルが折れる『折り紙コレクション』にも興味津々。
無料だと伝えると「橋が欲しい!」「俺は一円電車!」と手を伸ばしていました。
意外にも、初めて訪れたという生徒も多く、大きなシックナーを見て「わ〜、すごい〜!」との声も聞こえてきました。
【生野銀山】
次は生野銀山です。
生野銀山は室町年間に本格的な採掘が始まり、織田信長・豊臣秀吉、徳川家康の直轄地に。明治元年に政府の直轄となり、最新技術が投入された日本の近代鉱山第1号です。
ガイドさんが模型や資料を使い、わかりやすく説明してくれます。
江戸時代の坑道は、一人がやっと通れるほどのもの。地道にコツコツと採掘した跡が残されています。
生野銀山の坑道内は年間を通して平均温度13℃。この温度を利用してお酒を貯蔵しています。
坑道内では時代ごとの作業風景が再現されています。
全長約1000m、40分ほどのコースを見学し出口へ。
積鉱車に乗り、記念撮影!
【旧生野鉱山職員宿舎】(志村喬記念館)
次は旧生野鉱山職員宿舎です。
通称『甲社宅』と呼ばれる4棟の鉱山官舎・社宅で朝来市の文化財となっています。
ここでもガイドさんが、施設の成り立ちや、甲社宅で生まれ育った名優・志村喬さんの話などを説明してくれます。
棟ごとに明治、大正、昭和が再現され、風呂やかまど、建具や生活用品などの変化を見ることができます。
1棟ずつ覗き込み、写真を撮影。
製錬時に出る鉱滓(カス)を固めた『カラミ石』についても、ガイドさんに教えてもらいます。
「大きい方が明治時代のカラミ石、小さい方は江戸時代のもの。江戸時代は捨てられていたけど、明治時代では形を整え再利用されたんだよ。」とガイドさん。
「えっ、何石ですか??」「カ・ラ・ミ」「カラミ石?」「そうそう」と和やかな会話が交わされます。
【生野口銀谷の町並み散策】
最後は町並みを散策します。
生野の町には鉱山町の繁栄を伝える町屋が整備されていて、散策をしながら鉱山町の暮らしを感じることができます。
カラミ石を利用した住宅の犬走(いぬばしり)を見て「あ、カラミ石!」の声が。早速、先ほど学んだ知識が生かされていますね!
『会所』と呼ばれる水を周囲に配るための装置。先人は町中に水を流すようにさまざまな工夫をしています。
赤瓦の屋根や、明治時代に建てられた洋館、大正時代のトロッコ道など散策しながら歴史に触れることができました。
「生野銀山には来たことがあったけど、他はあまり来たことがなかったのでまた来てみたいです。」と感想を聞かせてくれた生徒さんたち。
今回の現地学習会は、地元にある産業遺産に興味を持ってもらう良いきっかけになったのでは、と感じました。またぜひ訪れてくださいね。
[ライター:轍]
▼ 観光スポット
神子畑選鉱場跡
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