屋形町は兵庫の北部にある鉱山と姫路の港の間に位置し,旅人にとっては重要な宿場町であった。江戸時代(1603-1867)には,鉱山から採取される銀は主に徒歩で輸送されていた。政府の収入源として銀は重要であったため,役人はその安全性を確認するためにしばしば屋形町を訪れていた。1868年の明治維新後に,明治政府はできるだけ早く国を近代化させたかった。馬車で銀の輸送ができるような近代的な道路の建設がフランス人と日本人の技師たちに課されていた。1876年,「生野鉱山寮馬車道」(現在は銀の馬車道として知られている)が完成した。
道路沿いで最も栄えた宿場町として,その最盛期には屋形町に9軒の旅館,6軒の酒を売る店,3人の金貸し業者そして日用品を売るさまざまな店があった。宿場町の当時の建物はほとんど残っていないが,訪問者は今でも旧道路の経路をたどることができる。
文化財データ:
名称 | 屋形町 |
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読み方 | やかたまち |
指定状況 | 未指定 |
住所 | 神崎郡市川町屋形 |