2021.11.08
【白口無縁塔】
鉱山町生野の白口町は、17世紀初め頃、最盛期を迎え、「白口千軒」と言われました。
昭和の初め、相次ぐ陥没事故が発生し、稲荷社が再建される頃、町中にあるたくさんの無縁墓を纏め、無縁塔を作ることになりました。
以下は当時、碑文を依頼された生野高等女学校の先生の漢詩の現代語訳です。
(※無縁塔の左面に、経緯の序文があり、裏面に本文があります)
『慶長の頃、白口は多くの鉱脈があり栄えた。
銀山旧記によると、当時人家八百八十軒。
高楼は谷を填め、唐物店、絹屋、浴場、傾城町とさまざまな店があった。
当時を懐かしく思う。
そして時が過ぎ、三百年余り。
今残る家は十数戸。
見渡して栄枯盛衰をただ嘆く。
わずかに古の賑わいを物語る墓は一面に重なっている。
霊魂の哭く(なく)声に耳を傾け、区のみんなで相談して、墓を一か所に集めて供養塔を建て、迷える魂を弔いたいということになった。
私にその碑文を書くように依頼されたが、もともと私にその任はない。
しかし”霊に篤く報いたい”というそもそもの事の起こりは、我が国の美しい習俗である。喜んで承諾し、ここに銘文を記す。』
『山々は昔のままだが、そこで暮らす人々は同じではない。
古くからの墳墓が累々と集積し、その子孫はいない。
祭祀が執り行われなくなって久しく、始まりがあって、終わりがない。
今、区民が墓を取り集め、塔を建て哀悼の意を尽くした。
半日間の供養をし、功成って彼岸に渡すことができた。
水に浮かぶ月を安んじて眺め、怨嗟の松風が吹くこともなかろう』
格調高い、泣かせる漢詩ですね 。
この先生の思いもまた、日本の美しい習俗なのだと思いませんか!
そんなみんなの優しい気持ちの詰まった白口の無縁塔に触れてみませんか。
また、白口無縁塔から南に本谷林道を700m入ると、白綾の瀧(しらあやのたき)があります。
白口本谷にはかつて傾城町があったそうです。
瀧を見ながら男女の語らいがあったかもしれませんね。
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