宿場町である中村・粟賀町は,北部の鉱山から姫路港に通ずる経路沿いの休憩地の役を果たしていた。その最盛期には40以上の店を構え,中村・粟賀町はその経路で最大の宿場町の一つであった。その地域での往来は,明治時代(1868-1912)初期の1876年に「生野鉱山寮馬車道」(現在は銀の馬車道として知られている)が完成したので改善された。
今日では,江戸時代(1603-1867)からの建物が二つ残っている。竹内家住宅と以前の難波酒造である。観光案内所には,改築された屋敷がありその隣には元の粟賀の馬車の驛(ウマヤ)があり,そこで馬車が播但線からの旅人の馬車の乗継場所になっていた。
文化財データ:
名称 | 中村・粟賀町歴史的景観形成地区 |
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読み方 | なかむらあわがまちれきしてきけいかんけいせいちく |
指定状況 | |
住所 | 神崎郡神河町中村 |