日本遺産「銀の馬車道、鉱石の道」で養父エリアにある中瀬鉱山。
2014年、但馬の情報誌T2の路地裏探検にて、町歩きと鉱山遺跡の見学会に参加しました。
案内の方が、山を指し、「あそこにも社宅があったのですよ」
と語られたのが印象的でした。
どこの鉱山町も、かつては社宅群があり、全国から多くの方で賑わっていたのでしょう。
町歩きでは、生野と同じで、鉱石を挽く石臼がありました。ここでは゛山臼゛というようです。
《中瀬の山臼》
臼は神聖なもの。使わなくなったら、半分に割って魂を抜くそうです。
姫路城の石垣には石臼の転用石「姥ヶ石」があります。
石垣の石がなかなか集まらず困っていた秀吉に、老婆が古い石臼を「せめてこれでもお役にたてれば」と献上し、この話がたちまち城下の評判になり、人々が競って石を寄進したというふうに伝えられています。この話、実は史実ではないのですが、もしかしたら石臼には不思議な力があって、半割れにして石垣に埋め込むことで崩れを防止するまじないに使われたりしたのでは?などと想像が膨らみます。
中瀬の町中の案内板には、生野の石川家文書があります。
天正10年、秀吉の支配下の頃、奉行によって金山屋敷が建てられ、徳川時代は生野奉行の管轄下にて、金山役所、役宅、米蔵が建てられたそうです。
2014年の但馬の情報誌T2の「蘇る黄金郷!」良いネーミングですね。
因みに数年前は、ここも舞台に芸術祭が行われました。
鉱山町の賑わいを感じに、行ってみませんか!
[ライター:powerstonewalk]
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