日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~

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2025.03.27

鉱山まちの記憶

 

【鉱山まちの記憶】
 
小野大橋のたもとにマロニエの樹があります。
旧生野町の町政100周年を記念して、明治政府のお雇い外国人として生野鉱山近代化の礎を築いたフランス人鉱山技師長ジャン・フランソワ・コワニェの母校であるサン・テティエンヌ鉱山学校
(現 サン・テティエンヌ国立高等鉱山学校)の方々により、植えられたものです。
 
 
 
そのきっかけは、兵庫県の首長の欧州視察旅行での自由行動日に訪ねたサン・テティエンヌ国立高等鉱山学校との交流からです。
鉱山まち生野には、明治の初め、たくさんの鉱山技師が訪れました。
異人館と呼ばれる住居が建てられ、1棟は神子畑に移設されたムーセ邸で現存します。
 
 
【想像してみよう】
明治の初め、生野にはたくさんのフランス人がいたということ。
白口、金香瀬、太盛山にも行かれたでしょう。江戸時代の山師の古絵図には、フランス語の書き込みのあるものもあります。
まちを歩きながら、日本の近代化に向けての生野鉱山長らと、いろんな構想を練ったことでしょうね。
資材搬送には、飾磨港から馬車道を作ろう。
川を堰き止めて送水路を作り、動力としよう。
シックナーや製錬の高い煙突、搬送のトロッコ道を作ろう。
石切り場はここ、建物の煉瓦はここで焼こう。
近代化されていく日本初の官営鉱山生野。それに憧れて、生野を訪れ、学んだ人たちもおられます。
 
 
【未来に向けて】
このマロニエの樹の周辺は、国道429号線の改修工事で、植栽が取り除かれ芝生になりました。今後、地区の環境整備を進めます。
昨年夏は市川の川原で、子どもたちと遊びました。鯉のいる川、そして川原の遺跡にも触れ、とても楽しそうでした。
 
さまざまな場所での体験を通じて、鉱山まちの記憶を繋いでいこうと思います。
 
[ライター:powerstonewalk]
 
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