日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~

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02 しかまつものあげばあと

飾磨津物揚場跡

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 今では姫路港の一部となっているこの地域は,かつて「飾磨津物揚げ場(飾磨津荷揚げ波止場)」として知られていた。それは「生野鉱山寮馬車道」(現在は銀の馬車道として知られている)の終着点で,そこから兵庫県北部の鉱山からの銀や他の金属が瀬戸内海沿いの工場へ輸送された。その道路と波止場はこの輸送の速度と安全性を改善した。そしてその建設は,明治時代(1868-1912)における国の急速な産業化の中で,明治政府の初期の企画の一つであった。フランス人技師レオン・シスレー(1847-1878)が49キロメートルの道路と「飾磨津物揚げ場」の両方を設計した。建設は1873年に始まり1876年に終わった。

 1894年までに日本のインフラは,北部の鉱山からの生産量が鉄道で輸送されるに至るまで整備され,飾磨津波止場はもはや必要とされなくなった。浅田化学工業はそれを政府から買い取り,今では工場として利用している。元の埠頭に残っているのは,レンガ造りの建物を構成する壁の一部である。

文化財データ:

名称 飾磨津物揚場跡
読み方 しかまつものあげばあと
指定状況
住所

姫路市飾磨区宮

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