明治11年の鉱脈再発見により、生野銀山の支山として稼働。 大正6年に閉山したが、その後、明延鉱山で採鉱された鉱石の選鉱場となり、最盛期には東洋一の規模を誇った。山の斜面を利用した機械選鉱場は24時間稼働し、夜中になると選鉱場が光る姿から不夜城と呼ばれました。
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